デマは悪意によって生まれ、不信感によって真実味を帯び、正義感と善意によって広まる

 3/11。東北地方太平洋沖地震発生。その後ネット上では様々な情報が飛び交いました。その中には真実もあればデマもあり、特にTwitterなどのソーシャルメディアでは真実と同じくらいデマが存在していたのではないでしょうか。そんなデマについて思ったことを少し。


 当然デマの作成者はそれがデマであることを知った上で情報を発信しています。そこにあるのは対象を陥れようという悪意です(出来心とか魔が差した、といった中学生の万引きの言い訳のようなこともあるかもしれませんが)。
 デマが全くの根拠がなく誰が見てもデマだと分かるものであれば誰も拡散しようとしません。そこにあるのは「○○であればそういうこともあるかも」という対象に対する不信感です。デマであると言い切れないという思いが真実味を帯びさせていきます。
 そして仕上げは情報の拡散。発信者と同様にデマであると理解した上で拡散する人もいますが、一番性質が悪いのが正義感と善意。拡散した本人は良いことをしたと思っているから誰かがデマだと指摘しても中々理解してくれません。「地獄への道は善意で舗装されている」という言葉があるように善意が必ずしも良い方向に向かうとは限らないんですよね。