2016年 買って良かったものリスト
4年半も放置していたのにサイトもアカウントも消えてないのに驚きだ。
さて本題。主にAmazonとヨドバシカメラの履歴から2016年の購入物を振り返ってみるなど。この手の話題はこの時期になると色々なサイトでされているが、せっかくなので便乗。
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Amazonの電子書籍リーダー。漫画を読むには不向きだが、小説など活字メインではベストなリーダー。タブレットだと重いし、スマホだと画面が明るすぎて目が疲れてくるので、軽さと見やすさという点で非常に良く出来ている。容量は8GBと少ないが、活字メインの本であればかなりの量が保存でる。あとはバッテリーの持ちも中々。充電することを忘れてしまうレベルで。
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TaoTronics ワイヤレスイヤホン TT-BH07(Amazon)
コスパの良いワイヤレスイヤホンとして有名。iPhone7を使い始めてワイヤレスイヤホンが必要になったので購入したのが理由だが、使ってみると予想以上に良かった。音質は自分の耳レベルであれば十分。ケーブルが無いっていうのは思ったより快適だ。買って合わなくてもあきらめがつく程度の値段なのも重要。
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食の質は生活の中でも重要。トーストするのにこれまではオーブンレンジを使用していたが、思ったより安かったので試しに購入。オーブンレンジより温まるのが早いので朝の時間がない中では便利。内部の熱にムラがあるのか、トーストの片側はコゲてるのに反対側は焼き色が付いていない状態になることがある。均一に焼こうと思ったら焼きながら少し動かした方が良さげ。そこは値段相応ってことで。
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おたふく手袋 保温・消臭 長袖 ハイネックシャツ JW-172(Amazon)
自転車乗るときのインナー用として購入。コスパ最強。スポーツ用品やアウトドアブランドの製品も良いと思うが、ハードな使い方をしなければこれで十分。秋から冬の始まりくらいの季節であればコレ+上から1枚。真冬はさらにウィンドブレーカーをプラス。安いんで何枚か購入して普段使いでもいいかもと考え始めた。
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wena wrist(公式)
少し変わったスマートウォッチ。時計部分は普通のクォーツでベルト部分に各種機能を内蔵。機能は電子マネー、通知、活動量計と必要十分な感じ。スマホも何も取り出さなくて良いので電子マネーを良く使う人には一動作減って楽。文字盤側ではなくベルト側に電子マネーのチップが内蔵されているので店のリーダー配置によってはちょっと当てにくさはある。特に中断くらいに読み取り部がある自販機。通知機能の便利さは予想以上。カバンや服のポケットにスマホを入れておくとバイブに気付かないことが多いのでそれを補うことができる。活動量計はほぼおまけ。機能としては万歩計。期待しない方が良い。時計部分はデザイン優先かライトグレーバックに黒の針なので暗いところだと非常に見えにくい。これについては最近時計部分のデザインが増えてきたので見やすいものを選択すれば良いかと。最後にバッテリー。液晶を使ってない分、非常に持ちは良く、5〜6日間は持つがその分充電も忘れやすいので注意。ただ充電切れても時計は機能するので単なるアクセサリー化はしない。
伝統というものの強さ。アレンジを認める寛容さ。
「着物はこうあるべき」という世間の目が和装文化をじわじわ殺している。
(togetter)
これは着物が好きな人が言うからこそ説得力がありますね。自分自身、ああいう着物とか浴衣を見て「それは無しだろう」と思っていた人間なわけですが、考え方を見直すくらいの説得力がありました。着物も結局は服の一種なんですよね。フォーマル色が強いという意味ではスーツとかと似ていて、TPOに合わなければフォーマルな場からは自然と淘汰されていくでしょう。スーツなんかカジュアル系のものがありますが、ファッションとしては十分認められていますしね。
「こんなの着物/浴衣じゃない」という意見からはアニメ/マンガヲタ界隈の「原作以外は認めない」という原作厨的な雰囲気を感じます。本当にそれが好きな人にとっては自分の好きなものが形として残り、多くの人がそれを知ってくれることが一番の喜びなんじゃないでしょうか。別にとっかかりはどこでもよく、アニメから入ってきた層が原作に回帰することはよくある話です。それと同じようにアレンジ着物/浴衣から入った層が伝統的なものに回帰することもあると思うんですよ。というか好きな人ってのは大抵が大元まで辿っていくと思うんですよ。それでいいんじゃないでしょうか。
例として「東方Project」を出させてもらいますが、二次創作やアレンジに寛容でゲーム/音楽/マンガなどあらゆるジャンルに波が広がっていますが、決して原作がないがしろにされていることはありません。和装文化もそれと同じで、元となる伝統的なものがないがしろにされることはないんじゃないでしょうか。
再開するキッカケは何でも良い
Q. 誰に言っているのですか?
A. 自分。
個人サイトに花束を
(空読すくらっぷ)
また書きたいと思った。
他のサイトに影響を受けて。
ストレス発散。
気分転換。
理由もキッカケも何でも良いと思うのです。そのサイトを運営してきた人がまた何かを書きたいと思ったかどうか。書きたい何かがあるかどうか。そしてそれを読んで何かを感じてくれる人がいるかもしれない。そういったことが重要なんだと思います。
大勢の人に見られなくても、誰か一人でも、自分が「これは楽しい」「これは素晴らしい」ということが伝わって、見てもらえたらうれしい。
誰かとアクセス数を競う合うのではなく、自分が届けたいと思っていることを、誰か一人でも、同じものを探している人に見つかって、拾ってもらえるということには喜びがある。
何となく毎日のように更新していた時期を思い出しました。自分がサイトの更新をしていなかった理由は仕事が急に忙しくなったことと書きたいと思うことが次第に無くなってきたことだと思っていましたが、このような喜びを忘れてしまっていたこともだったのかもしれません。
1年以上もサイトを放置してきたのだから、この1年から出せるネタは沢山あるはず。次のテキストのネタが思い付いていなくても書こうと思ったら自然と出てくるはず。個人サイトは更新も中止も閉鎖も自分次第です。自由きままにやっていきましょう。
前回の更新が2011/4/3。現在が2012/6/10。一見すると2ヶ月放置とかに見えませんかね…
極論が人を不幸にする
ある日耳にした会話。
A「2人の子供が溺れています。1人しか助けられません。どちらを助けますか?」
B「助かりそうな方を助ける。そういうAはどうする?」
A「どちらも助けない」
B「それは酷くないか?」
A「片方だけ助けることは不公平だ。だからどちらも助けない」
というような内容。Aさんの意見の根本にあるのは不公平が許せないということのようです。人、特に日本人の特性でしょうか。一部の人が突出して不公平感が発生するとその一部の人を嫌う傾向にあります。
それはさておき、Aさんの台詞には実は矛盾があります。それは公平・不公平の観点を子供2人ではなく、子供2人とAさんの3人にした場合に発生します。溺れている・いないという点ですでに子供2人とAさんは不公平なんですよね。真の公平を求めるのであれば3人全員が助かるか、3人全員が溺れるかの2択しかないわけです。さらに言うのであれば、子供を片方しか助けられないという前提がある時点で3人全員で溺れるという選択肢しか残らないわけですが。
正しそうな意見を持つのは良いが行き過ぎると皆を不幸にしますよ、という話。
デマは悪意によって生まれ、不信感によって真実味を帯び、正義感と善意によって広まる
3/11。東北地方太平洋沖地震発生。その後ネット上では様々な情報が飛び交いました。その中には真実もあればデマもあり、特にTwitterなどのソーシャルメディアでは真実と同じくらいデマが存在していたのではないでしょうか。そんなデマについて思ったことを少し。
当然デマの作成者はそれがデマであることを知った上で情報を発信しています。そこにあるのは対象を陥れようという悪意です(出来心とか魔が差した、といった中学生の万引きの言い訳のようなこともあるかもしれませんが)。
デマが全くの根拠がなく誰が見てもデマだと分かるものであれば誰も拡散しようとしません。そこにあるのは「○○であればそういうこともあるかも」という対象に対する不信感です。デマであると言い切れないという思いが真実味を帯びさせていきます。
そして仕上げは情報の拡散。発信者と同様にデマであると理解した上で拡散する人もいますが、一番性質が悪いのが正義感と善意。拡散した本人は良いことをしたと思っているから誰かがデマだと指摘しても中々理解してくれません。「地獄への道は善意で舗装されている」という言葉があるように善意が必ずしも良い方向に向かうとは限らないんですよね。