Twitterオンライン飲み会(案)
(1)幹事役の人が参加者でリストを作成。
(2)参加者は全員を相互フォロー。
(3)開始時間と終了時間を決める(終了時間は決めなくても良い)。
(4)開始時間までに参加者は各自で酒と肴を用意。同時にPC、携帯などTwitterが出来る状態を確保。
(5)開始時間になったら参加者はPostを開始。参加者同士reply/DM/RT/QTなんでもあり。
補足A.参加者はリストを見ることが出来る状態にしておくと話題に付いて行き易い。
補足B.幹事役の人は最初の話題を決めておくとスムーズに開始されるかもしれない。
補足C.参加者はオンライン飲み会が原因でRemove/Blockされても泣かない。
懲りずに繰り返す
何か新しいことを始めたときにうまくいかずに凹んだり、失敗して痛い目を見たり、というのは良くある話。でもいつまで経っても慣れずに精神的に落ち込むのもいつもの話。通過儀礼みたいなものだと頭では理解しつつもそんなことにはなりたくないとワガママなことを考えるのもいつもの話。
でもうまくいくようになったときに単純に喜ぶのもいつもの話。しかもそれを他人にほめられたりしようものなら小躍りするような気分になるのもいつもの話。それが楽しいことなら喜びも楽しさもさらに倍、というのもいつもの話。
その喜びを糧にまた新しいことを始めて凹んだり、痛い目を見るのもいつもの話。そして行動と精神状態がループする。
善は急ぐ?急がない?
"善は急げ"
良いと思ったことは、気が変わらないうちに行動するのが良いということ。
"急がば回れ"
急いでいるときは、時間がかかっても落ち着いてやることが肝心だということ。
結局どっちがいいんだよ、という話です。
結論としては、取りかかるまでは「善は急げ」、取りかかってからは「急がば回れ」。物事を始めるなら可能な限り早く、そして始めてから早さだけでなく落ち着いてやることが必要だということです。
早く開始すればその分時間の調整も付き易いですし、遅く始めるより良い機会を逃しにくいです。で、始めてからは早さだけではまともな結果は出にくいため、ある程度は落ち着いて考えながら進めることが必要になります。どっちか片方とかではなく状況によってより良い方を選んで使い分ける、ということです。急ぐのも回るのも、それぞれが一つの手段。矛盾するようなモノでもとりあえず持っておけば選択肢という道具にはなります。
モノを書くこと
更新頻度が減ったからといって1回に書く量が増えたわけではない。単に書くことに費やす時間が減っただけ。
他のことに時間を費やすから、自然と書くことのネタを考える時間が減り、更新頻度も減る、と。基本的にモノを書くことに最も重要なのは「テーマ」だと考えています(「ネタ」でも可)。「テーマ」がなければ文章力がいくらあっても役には立たず、これから文章力を上げようと考えている人も「テーマ」がなければ文章力を上げるために書くこともできません。
というわけでこれからブログなどを始めようと思っている人はテーマとかネタを色々と考えるところから始めるのがいいんじゃないでしょうか。で、その中から話が広がりそうな内容を選んで書く、と。あと一度思い付いたネタを何かにメモをしておくことをオススメします。メモしないと忘れるというのも理由の一つですが、メモに残しておけばいずれ使えるようになるかもしれない、という理由の方が大きいです。ま、大抵の場合使わずに放置されるんですけどね。
最後に。テーマとか決めずに頭の中に思い浮かんだことをそのまま書き綴る、という方法もなくはないですが、そればかりやってると文章力は上がりにくいです。この方法は自由にグダグダな文章を作り上げることを楽しむことが目的ですからね。
他人への駄目出しをするだけでは良くならない
客を責めたら終わりだしょ
(Chikirinの日記)
支えていたモノが取れてすっきりした感じ。「若者の○○離れ」に対して感じていたことはこういうことだったんだ、と改めて気付きました。
他人に駄目出しをしていても自分のアウトプットは良くなりません。自分自身に駄目出しをすることで初めてアウトプットが良くなります。改善と向上心を忘れては駄目ってことですね。本当に当たり前のことです。言い訳しても良くはならないことも含めて。
「言い訳をした回数だけ成功から遠のく」
と名言っぽいことを最後に書いてみる。
「やれば出来る」という言葉の真意
「やれば出来る」という言葉。言われた側からすれば「やっても出来ないことはあるよ」という思いも持つことでしょう。でもそんなことは言った側も十分理解しています。この言葉の真意は「とりあえずやってみろ」ということ。あくまで最初の行動を求めているのであり、完璧な結果を求めているわけではありません。
他人に何かをやってもらう場合、「出来るかもしれない」とか「出来そう」という思いを持たせることが重要なんだと思います。そういった意味では「やれば出来る」という何の根拠も必要ない言葉は便利です。根拠とかなくてもその言葉が意味を持つこともあるのではないでしょうか。
書くことが当たり前になるように書かないことも当たり前になる
割と頻繁に更新をしていた頃はそれが当たり前になっていました。それが引越し作業でネットが使えなかったり、時間が取れなかったりですっかり更新頻度が落ちてしまったわけですが、それも慣れれば当たり前になるようです。
そんな状態でまた書こうと思ったのは、「何となく書きたいことがある」というのが半分、「せっかく1年以上続けてきたサイトを閉じるのはもったいない」というのが半分、といったところでしょうか。自分が何かを書く理由ってこの程度のものなんですよね。何か強烈な主張があるわけでなく、見に来てくれた人が少しでも楽しんでくれればよく、たまに他サイトで取り上げてもらったときには自分が喜ぶ、といった程度のもの。
この程度の意識でも何かを続ければそれが当たり前になってしまうのだから不思議です。むしろ適当なくらいの方が長続きするんですかね。とは言え「習慣」と「惰性」は全くの別物。それが「惰性」であると認識してしまったときは大人しく消えることにしましょう。