オタクにとっての理想的な立ち位置

 何となく、昨日の記事「隠れオタクってコウモリみたいな存在なんだろうか?」の続きです。

 結局のところ、趣味に時間を使えばその分社会での生きやすさを得ることができ、社会での生きやすさを望めば趣味の時間が減るというジレンマを抱えることが問題でしょうか。この問題は一見するとオタク趣味に限らずどんな趣味でも言えることのように思えますが、スポーツや音楽などの趣味(俗に言う一般的な趣味)は社会からの理解度が高いため、比較的許容されやすいという違いがあります。そのため例え趣味に多くの時間を使ったとしても社会的な生きやすさは得られやすいです。それと比較してオタク趣味というものは社会からの理解度が低いです。そのため趣味に没頭しすぎると社会性がない印象を持たれ、生きにくくなってしまいます。こう考えると「オタクは社会性がない」と思われている原因は社会からの理解度の違いからくる部分が大きいのかもしれません。
 結局、オタク趣味を持つことで同時に社会での生きやすさに対するハンデも背負うということです。何を今更、という気もしないでもないですが、ハンデを持っていることをはっきりと自覚した上で理想的な立ち位置(趣味とそれ以外のことに対するリソースの配分)を決める必要があるように思いました。