本当に良くしたいのならまずは理解するべき

「若者の○○離れ」を語る時に考慮しなければならないこと
(空気を読まない中杜カズサ)

 何かのせいにするのはいいけど(よくないけど)、本質をつかまないと結果を出せずにグダグダと言い訳をするだけになり、一向に前に進むことが出来ないのではないかと。自分の価値観では理解出来ない、もしくはしにくいものを「理解できない」として思考停止してしまうのは建設的ではないです。「理解できないからとりあえずこのせいにしておけ」的な考え方は単なる一時しのぎの言い訳にしかなりません。
 「理解」というものは「歩み寄り」から始まると考えています。基本的に発信者側は自分の考えが受信者側に伝わっていないと考えて発信はしません。そのため受信側から「理解出来ない」という意思を伝える必要がありますが、このとき受信者側は歩み寄って少しでも理解しようという姿勢を見せた上で「理解出来ない」という意思を伝えるべきです。その場に立ち止まって「理解出来ない」と言っているような人にわざわざ自分から歩み寄って理解させようという人はいません。逆に「理解しよう」と歩み寄ってきた人に対して「理解してもらいたい」と思う人は多いです。発信者は出来る限り多くの人に内容を理解して欲しいと考えていますから。


 必要なのは理解と努力と振り返り。

ただ、振り返ってみると同じようなことを自分たちもやってしまう可能性は高いのですとね(「ゆとり世代」とか)。そのあたり気をつけていかねばなと思う次第です。

 本当にそう思います。